本場のハロウィンは、静かだった
— 見てきたもののこと —
10年ほど前の7月、留学のためにトロントへ渡りました。
行く前から決めていたことがあります。帰る前に、絶対に本場のハロウィンを見る。日本で見てきたものが本物ではないなら、本物はどれほど凄いのだろう。ずっとそう思っていました。
10月が近づくにつれて、街が変わりはじめました。
10月の半ばに、ケベックへ行きました。
観光地だったこともあると思いますが、街全体がハロウィンでした。大きなかぼちゃが置かれていて、魔女の絵が飾られていて、どこを歩いてもその季節の色をしている。
不思議だったのは、その中にクリスマスマーケットが何軒か出ていたことです。
ハロウィンの飾りの隣で、もうクリスマスが始まっている。日本だと、11月1日には街が一斉に切り替わります。前の季節はきれいに片づけられて、次が始まる。でもあの街では、両方が同時にありました。
急いで次に進むのではなく、重なったまま少しずつ移っていく。移っていく時間そのものを楽しんでいるように見えました。
トロントに戻ってからは、語学学校でハロウィンがありました。
休憩室に集まって、それぞれが出し物をするんです。キャラクターになりきる人がいて、歌う人がいて。私はもう卒業していたので参加せず、見ている側でした。
見ている側だったから、気づいたことがあったのかもしれません。
誰も、上手にやろうとしていませんでした。準備に何週間もかけた様子もない。ただ、その場を楽しむためにやっている。うまい下手を見せ合う場ではありませんでした。
そして、当日の夜。
歩行者天国になったストリートへ行きました。ずっと楽しみにしていた本場のハロウィンです。
正直に言うと、拍子抜けしました。
想像していたような大規模なパレードはありませんでした。どんちゃん騒ぎもありません。人はたくさんいるのに、思っていたより静かでした。
その代わり、みんな本気で歩いていました。
騒ぐでもなく、本当のお化けみたいに歩いているんです。目が合うと襲ってくるピエロがいて、ジェイソンがいて。演じきっている、という感じでした。
かと思えば、牛やバナナの着ぐるみを着ている人もいます。本格的なメイクの人と、明らかに間に合わせの人が、同じ道を歩いている。誰も比べていませんでした。
写真を撮ってもらいました。
日本に帰ってきてから、渋谷のハロウィンの映像を見て、少し驚きました。
私が海外のハロウィンに思い描いていた賑わいは、むしろこちらの方に近いかもしれない。そう思ってしまうくらい、あの夜は穏やかでした。
もうひとつ、違いに気づきました。
日本のハロウィンには、コスプレが含まれています。好きなキャラクターになる。これは日本で新しく生まれた文化だと思います。
トロントで見たのは、ピエロやフランケンシュタイン、名前は忘れてしまったけれど、いかにもという顔をした人たちでした。怖いものばかりです。
日本のハロウィンが「なりたいものになる日」だとしたら、あちらは「怖いものになる日」なのかもしれません。
Everyone was enjoying it
in their own quiet way.
期待していたのは、規模の大きさでした。
でも、覚えているのはそこではありませんでした。ひとりひとりが、自分のやり方で楽しんでいたこと。誰かに見せるためでもなく、競い合うでもなく。本格的な人も、牛の着ぐるみの人も、同じように楽しそうでした。
思い思いに、というのはこういうことなのだと思いました。
今年のM'ayのハロウィンは、あのとき見た景色を持ち帰ったものです。
全部で10種類あります。
かぼちゃの並んだものもあれば、お菓子でいっぱいのものもあります。ふんわり可愛いものもあれば、少し本格的に振り切ったものもあります。
並べてみると、まとまりがありません。
途中で気づいて、それでいいことにしました。あの夜、本格的なメイクの人と、牛の着ぐるみの人が、同じ道を歩いていたのを思い出したからです。
No one was comparing.
Everyone was simply enjoying it.
今日はそのうちの2作をお届けします。
お茶会が終わったあとの庭に、彼女はまだ留まっています。追いかけるのをやめたとき、時間も一緒に止まりました。
かかとを鳴らせば帰れると知っていて、それでも歩き続けた少女の話です。
どちらも、元の世界に戻らなかった少女の物語です。ハロウィンが一日だけ違うものになれる日だとしたら、この二人は、戻らないことを選んだのかもしれません。
残りは、これから少しずつご紹介していきます。
10種類のうち、どれを選んでいただいても構いません。可愛いものでも、怖いものでも、お菓子だらけのものでも。ハロウィンはこうあるべき、という形はないと思っています。
— M'ay